信州岡谷での滋賀男声合唱団が演奏した「月下の一群」が
南弘明先生のお耳に届くこととなり、
それが縁となって、
今回の演奏会にご臨席いただけるというニュースに、
私はこころ踊りました。
大学3年生の学生指揮者としての最初の定期演奏会のステージに
私は南弘明先生の「蛙の歌」を演奏した時からですから、
私の心の中に40年間先生のお名前は刻まれていました。
加えて私が専門家としての活動を始めたばかりの頃、
広島・崇徳高校グリークラブを率いていた天野守信先生から
「月下の一群第2集を初演することになりました。
指導に来てください」とお招きいただきました。
演奏会前日のびわ湖ホールのリハーサル室にお越しくださった先生は
背筋がピーンと伸びた細身のかくしゃくとした紳士でした。
東京芸術大学名誉教授をお迎えして私も団員も緊張の中、先生は
「作曲家の中には、厳格な指示のもとでの演奏を要求する方がいますが、
私はいかようにもしてください、という作曲家です。」
というお言葉をいただき、私たちは先生の懐の深さに安堵したのでした。
演奏会後先生から素晴らしいメールをいただきました。
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滋賀男声合唱団の皆さまへ
16日はすばらしい演奏を聴かせていただきました。
良く透る発声、正しい音程、
良く縮むピアニッシモ、
柔軟に膨らむフォルティッシモ、、、
そして演奏中の非常にいいお顔、、、、
また、打ち上げのとき、
私のとっさのわがままな要望にも
つきあってくださいました。
3月16日のことを私は何度も思い出し、
永く忘れることはないでしょう。
誠にありがとうございました。
南 弘明
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追記
「私のとっさのわがままな要望にも・・・・」
これは打ち上げパーティーでの出来事です。
先生御自ら月下の一群の終曲を指揮してくださったのです。
先生の若き頃の思いが凝縮した素晴らしい指揮でした。
私たちこそ先生から
「永く忘れることはない」感動をいただきました。
「真空管ラジオの制作に熱中しているうちに
新世界や軽騎兵序曲を聞くようになり
クラシック音楽が好きになりました。
それほどに私は晩学なんです。」
このお言葉に晩学の者どうしのつながりを覚えました。
打ち上げパーティーでは気さくに輪の中に溶けこみ、
2次会も夜が更けるのを忘れて、
こよなくビールとおしゃべりを楽しむ先生でした。
(瀬戸内海・佐合島にお住まいなのにお刺身ダメはご愛嬌でした。)