プロフィール

Profile written in English

Ken TOMIOKA : music director 

While majoring in Law at Doshisha University, Ken Tomioka started his career as a conductor, learning Musicology under Maestro Hiroshi Wakasugi, who had previously served as the music director of Tonhalle Orchester in Zürich.

After receiving a bachelor’s degree in Law at Doshisha University in 1974, he attended Wayne State University’s Music Department in Detroit, Michigan until 1977

In 2001, Ken Tomioka organized the Osaka Chamber Opera. To commemorate the foundation of the Opera, “Amahl and the Night Visitors by G.C. Menotti” was performed at Tadao Ando’s Church of Light, which was covered the first page of Asahi Daily News, the largest newspaper in Japan.

 In 2002, through the invitation of the famous Tenor, Zeger Vandersteene (Belgian), Ken Tomioka accompanied Frans Brüggen during his tour of the Toscana region in Italy.   He also visited to direct for the Romanian National Oradea Philharmonic, in 2009 and in 2011.

In addition, his overseas activities include attending master classes in Hochschule für Musik Franz Liszt Weimar, the performances at America Arcady Music Festival (Main, USA), Komischen Oper (Berlin, Germany), a Japan week in Wiener Musikverein Großer Saal (Wien, Austria), Carnegie Hall (New York, USA) and other venues.

Ken Tomioka also has extensive teaching experience, having taught conducting classes, opera exercises and chorus classes at Osaka University of Arts for over 20 years.

 In 2017, he was awarded Kyoto Choral Federation Grand Prix called ‘“Todo Prize” for his notable creativity and outstanding musicality. Since 2019, he has been elected as a member of the Executive Committee for the Sing for Peace 2020, International Choral Festival in Kyoto.

Being admired as one of the best seven choirmasters representing Japan, his distinguished talent and affluent enthusiasm toward music has the power to combine the audience with the performers as one, which is an awe-inspiring and fascinating experience for many classical music fans.

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短縮版

富岡健(とみおかけん) プロフィール

 音楽をだれに聴かせたいかという意識・・・。仲間や周辺の人たちだけでなく、社会にも訴えようという積極的な姿勢・・・。 そのために高度な技術と音楽性を身につけている指揮者が富岡健です。(日下部良彦・音楽評論家)
 温かな、人への愛を、他に類を見ない深い視点で演出・編曲・指揮され、目で・耳で・心で感じる音楽空間を創造される富岡健。“合唱”の概念をぬりかえ、新たな境地へ私たちをいざなうのです。(浅井敬壹・元全日本合唱連盟理事長)

 同志社大学法学部在学中から指揮法を福永陽一郎、若杉弘、演奏論を畑中良輔の各氏に師事。74年卒業と同時に渡米し、ミシガン州立Wayne大学音楽学部にて指揮法を学ぶ。帰国後、関西歌劇団、関西二期会で研鑽。88年喜歌劇楽友協会「こうもり」公演においてオペラ指揮者デビューを果たす。数年度に渡りオホーツク音楽祭で小林研一郎氏に師事している事からも、声楽付きの管弦楽作品を得意とすることが窺い知れる。
 01年にはオペラ制作集団「大阪室内歌劇場」を立ち上げ、安藤忠雄設計による「光の教会」での「アマールと夜の訪問者」の発足公演は、朝日新聞によって第一面でカラー写真と紹介される。09年と11年の2度にわたりルーマニア国立オラディア交響楽団に客演指揮者として招かれる。
 大阪芸術大学では25年間、また神戸山手女子短大、藍野短期大学でも後進指導にあたる。日本人オペラ指揮者名鑑でも紹介されている。
 16年のロームシアター京都開館事業「新しい合唱表現と音楽空間」プロデュースなどの功績により17年に京都府合唱連盟大賞「藤堂賞」を受賞。コロナ禍で中止となった財団法人京都市文化振興財団主催によるSing For Peace in 2020では「日本の合唱指揮者7人」に名を連ねた。1994年からMBS一万人の第九合唱指揮者を務め、現在、NPO法人音楽の恵みネットワーク理事長。

 

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公式プロフィール

大阪に生まれ、同志社大学にて法律を学んだ後、1974年から3年間ミシガン州立ウェーン大学音楽学部指揮専攻科に学ぶ。 帰国後、NHK大阪放送合唱団、関西二期会合唱団、カレッジ・オペラハウス合唱団などのプロ合唱団および、関西一円のアマチュア合唱団の 指揮者として活動を始める。数度にわたり関西六大学合同演奏に指揮者として招請を受け、1997年全日本合唱連盟の全国大会における京都フラワーコーラスの 全国第1位グランプリ受賞、神戸市教育委員会からの委嘱による2001年度阪神大震災のメモリアルテーマ曲「届けようこの歌を」の合唱版編曲は神戸市内全域の小・中学校に副教材として配布されるなど、合唱界において高い評価 を得ている。 1986年から、活動の場をオペラの分野に広げ、1988年喜歌劇楽友協会「こうもり」公演においてオペラ指揮者デビューを果たす。 その後、関西歌劇団、関西二期会の諸公演、1991年オペラグループ比良想舎の東西ドイツ統合記念のベルリン・コミッシェオパーでの演奏、 1998年びわ湖ホールのオープニング事業「魔笛」、各市民オペラでの「トスカ」「椿姫」などの公演を成功に導くなど、オペラ活動に奔走、貢献している。 1989年パリにおけるフランス国立管弦楽団とのフォーレ「レクイエム」の指揮、1998年ヴァイマール・リスト音楽院での指揮マスタークラス参加、 1999年アメリカメイン州でのアーカーディ音楽祭からの招請、2000年篠山市制施行記念事業「フィガロの結婚」の指揮が縁で、同年イタリア、トスカーナの 5都市のオペラ座にてヨーロッパ音楽界の巨匠フランツ・ブリュッヘンなどと親交を得るなど、海外での活動も著しい。1992年より関西の若い演奏家たちのエネルギーを結集して、室内管弦楽団「オルフェウス大阪(シンフォニエッタ アルス ノヴァを改称)」を主宰し、「小編成でのオペラ公演」を提唱し、 2002年には関西歌劇団「カルメンハイライト」公演に抜擢されるなど意欲的な試みで注目を集めている。1994年には、長岡京市民管弦楽団を設立し、荒憲一、 池宮正信氏ら優れたソリストを招き、意欲的なプログラムで地域のアマチュア音楽文化の発展にも、寄与している。 指揮法を故福永陽一郎や若杉弘、H.ラングスフォードに師事。オホーツク音楽セミナーにおいて小林研一郎に学んでいることからも、オペラ、劇音楽、合唱、 声楽付きの管弦楽作品を得意とすることが窺い知れる。 2001年にはオペラ制作集団「大阪室内歌劇場」を音楽監督として立ち上げ、安藤忠雄設計の「光の教会」(日本キリスト教団茨木春日丘教会)で、メノッティ 「アマールと夜の訪問者」を自らプロデュース。5日間5公演は、サンケイ、毎日、読売各紙で絶賛され、なかでも朝日新聞は第一面においてカラー写真とともに 公演を紹介、各方面に鮮烈なインパクトを与えた。08年全国男声合唱連盟(JAMCA)における600名の合同演奏ではその優れた指揮技法と演奏は各方面から絶賛された。09年と11年にはルーマニア国立オラディア交響楽団の秋のシーズンに客演指揮者として招かれ、管弦楽指揮者としても高い評価を得た。20数年にわたる大阪芸術大学での後進指導を12年に辞し、活動の主軸を「クラシック音楽啓蒙」「西洋宗教音楽研究」に据える。現在、大阪室内歌劇場・室内管弦楽団 オルフェウス大阪芸術監督。日本人オペラ指揮者名鑑でも紹介されている。