先日、お能の金剛流でもっとも古い職分家である今井家六代目、重要無形文化財総合指定保持者でいらっしゃる今井 清隆さんのご自宅兼お稽古場をお訪ねしました。時を忘れて多くの示唆をいただきました。それは別に記することにして、耳にしたことばに驚きました。「700もの金剛流に伝わる演目をさらっていくと、どうしても渡来人秦一族に加えて、イスラエルの文化にも接するのです。」
渡来人秦氏の存在は教科書程度の理解は持ち合わせていましたが、イスラエル文化も古くから日本に?との思いから調べたくなりました。
秦氏の周りには神秘の香がする。それは原始キリスト教の流れをくむ東方キリスト教のひとつであるユダヤ人景教徒であったから・・・。そう発表したのは早稲田大学名誉教授、東京文理科大学学長を歴任した歴史民俗学者・言語学者の佐伯好郎博士(1871-1965)。私見として、うづまさ(太秦)、すなわち秦氏の拠点について次のように述べる。「うづ」は“Ishu”即ち“Jesus” 又、「まさ」は“Messiah”の転訛(てんか)語に外ならぬものである、と。
そうか祇園祭の鉾にはペルシャ絨毯を装飾に重んじるルーツはここにあったのかと興味深々と読み進めるうちに、こんな記述にも出会った。
ユダヤ教のラビ(教師)、マーヴィン・トケイヤー氏(1936-)も、「秦氏ユダヤ人景教徒」説を支持している。トケイヤー氏は、以下をその根拠としてあげている。
・モリヤ山でのアブラハムによるイサク奉献に酷似した祭「御頭祭(おんとうさい)」が信州の諏訪大社に古来伝わっている
・イスラエルの契約の箱と神輿の類似性
・イスラエルの祭司の服装と神社の神主の服装の類似性
・古代イスラエルの風習と神主のお祓いの仕草の類似性
・イスラエルの幕屋の構造と神社の構造の類似性
引用;https://hironobu-matsushita.com/column_itpro/
となると、「イエスの墓が青森にある」という笑い飛ばしていた説ももあながち珍説でかたずけられないじゃない。以下、読売新聞オンライン版からの引用
墓そのものは、村を見下ろす小高い丘の上にあった。ひとつはイエス・キリスト本人を葬った「十来塚」で、もう一つはその弟、イスキリの墓「十代墓」だ。キリストは、ローマ帝国によりエルサレムにあるゴルゴダの丘で処刑されたことになっているが、実は弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来し、その後ここで亡くなり、葬られたのだという。
引用:https://www.yomiuri.co.jp/hobby/travel/20221227-OYT1T50159/
イエスの弟の身代わり説はにわかに信じがたい。せめて復活されたイエスが40日後に天に昇られたというが、実は青森のこの地に眠られている・・という記述のほうがそれらしく聞こえると思うのですが、どうでしょう。
中学時代の同級生に「秦」君がいた。彼の顔を思いだそうとすると、歌手の「旗 輝夫」の顔を浮かんでくる。一族だったのかとこの記事を読み終えて思ったのでした。