エッセイ 談志から学んだ一期一会

ブログのリニューアル記念に、ではないのですが、最近の感動をしたためようと思いつきました。
立川談志の追悼番組を見てのことでした。生前は「乱暴な言葉の落語家」という私の印象が、
この追悼番組をみて見事に覆されました。

それを文にしたためるために資料を求めて検索をかけていたらすばらしい文章に出会いました。
しばらくそこからの引用をお読みください。
(http://ameblo.jp/gokigen-panda/entry-11113249800.html)

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談志の「芝浜」をナマで二度見たことがあるが、演じ終えた後は いつだって俺も
マダマダだな…」 という感じで、不満そうに高座を下りていた…。
4年前に演じた その「芝浜」は、2~3年前に放送されたNHKスペシャルで一
度だけ見たことがある…。

何が驚いたって…、
自分の落語にあんなにも満足している師匠の姿を見るのが初めてだったので…、
とにかくビックリした…。
「芝浜」の有名な下げ…、
「(よそう) また夢になるといけねぇ…」
※この時の談志は 「よそう」と「また…いけねぇ」の間に、妻の「どうした
の?」という台詞をはさんでいる…。

これを言い終えた後の師匠の顔と言ったら…!
客席に向かって人差し指を一本立てると、拍手喝采の中、
高座を下りることなく、ただ じっと…、 その拍手の中 座り続けていた…。
やがて腕を組むと、何度も何度も頷(ウナズ)いてみせた…。  依然として、拍
手はなりやまない…。
両手をゆっくり膝の上に置くと、それがまるで客を制する合図だったかのように、
客席の拍手はピタッと止んだ。

「また…、 違った…、 芝浜が…、 やれました…。良かったと思います。
こんなにできる芸人を…、 そう早く殺しちゃ…、 勿体ないよ…」

ここでまた、客席から大きな拍手が起きた…。
その拍手に 満足気に笑顔で応えると、会場の端から端までを ゆっくりと見て、ま
た何度も何度も頷いた…。
「ま、楽屋に入って…、 また反省というか…、 振り返ってみます…」
そう言うと、組んでいた腕をほどき 髪をひと撫ですると、

「くどいようですが、一期一会…。 いい夜をありがとうございました…」

言い終えて、また、ゆっくりと会場中を見渡し、にっこり微笑むと、
「さようなら…」 とでも言うように両手を大きく広げた…。
そして…、 これが談志最後の「芝浜」となった…。

最後に納得のいく「芝浜」が演じられて、良かったのだろうか…?
不満のまま終われば、その向上心が生きる力となって、また違う「芝浜」が見られ
たんじゃないだろうか…?
どっちが良かったのかは よく分からない…。

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いかがですか。毒舌で鳴らした談志の「一期一会…。 いい夜をありがとうございました…」
との言葉、驚きませんか。

古典落語もクラシック音楽も過去に発表された作品の再現。何十年、何百年の単位で
演じる人間と聞く人間が確かにいた。 でもお互いが「一期一会」と心に覚える演奏は決して
多くなかったはず。演奏者はプロの技術力を見せつけ、観客はそれに圧倒される・・・・。
そんな図式が氾濫する中で、いま一度たちかえらなければならないのは
「一期一会…。 いい夜をありがとうございました…」といえる演奏者の姿勢だろうし、
そして、そのように演奏者に言わしめる観客のまなざしだと思うのです。

僕自身の戒めとして、またこれからの指標として、談志のこの言葉を深く心に刻もうと思います。