僕の行くところ行くところに明智光秀とお玉がいます。
2000年まで向日市にいました。隣町の長岡京市が細川忠興・ガラシャ夫妻が盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたという地に勝龍寺城を復興する話が突然でて、あっという間に完成されました。
亀岡に引越して市役所に住民登録の為に訪れると、その地が明智光秀の領地であったこと、そして民から尊敬された名将の誉れ高い方であったことを初めて知りました。(小学校・中学校では主君織田信長に謀反を起こした反逆者としか教えられていませんでした。)。
また岐阜の県立高校から吹奏楽部の指導を頼まれ5,6年通いました。その地のすぐそこに光秀出生の地ともいわれている明智城がありました。
そして数年前からプロテスタントとカトリックの枠を超えて音楽を通して共に祈ろうとカトリック大阪の大司教様のお許しを得て、玉造カトリック教会聖マリア大聖堂でのエキュメニカルな祈りのコンサートを始めました。その地がなんと熊本細川藩のお屋敷跡で、ガラシア自決の地とも知らずに。
高山右近が治めた高槻と明智光秀の治めた亀岡を結ぶ直線上のちょうど中間点の山深いところに「隠れキリシタン集落」があり、いまその地には茨木市立隠れキリシタン博物館」があります。それも拙宅から車で10分もかかりません。光秀も右近からキリスト教の影響をうけたのではという思いから、光秀がキリシタン大名だったと主張する文献を求めて、亀岡の郷土文化資料館やら市史編纂室を訪れましたが、一笑に付されてしまいました。娘お玉は父がマリア像に向かって祈る姿を見たからこそ、自らもイエスに救いを求めたのではないかとの思いが捨てきれないのです。数年前フジテレビ系列で放送された天海祐希演じる「女信長」というドラマで安土セミナリオで光秀がオルガンを奏でるシーンに、拍手したことでした。
4,5日前のことです。私と同じくする教会(日本基督教団茨木春日丘教会・安藤忠雄の光の教会)の方から電話を頂きました。「私の先輩で熊本放送のプロデューサーをされ、芸術祭賞も何度となく受賞されている方が、定年を迎え、自分の最後の仕事だということで戯曲の台本が送られてきました。これをぜひ富岡さんに見てもらいたい。」という内容でした。
それがなんと細川ガラシアの半生を描いた台本だったのです。台本を読み進めるうちにオペラでの舞台が私の頭で浮かんできました。私はこの台本作家にお電話し、いつの日にかオペラにしたい旨お伝えし、私の申し出を歓迎してくださいました。
近い将来、室内オペラ「細川ガラシア」を制作発表したいと希望が膨らんでいます。できれば右近がバチカンから福者と認定されたお祝いの2017年中に。
もし昔ご一緒させていただいた皆川達男先生がお元気だったら、隠れキリシタンのオラショの資料提供をお願いできれば、という願いもございます。これも97年のNHKTVのドラマ「鏡は眠らない」で歌われたオラショが印象的で、そのドラマでの音楽監修が皆川先生だったのです。(どなたか録画されていたらお貸しいただきたいです。オンデマンドのリストにもなければDVD化もされていないのです。)
多くの困難を多くの仲間と支援者を巻き込んで(?)、一緒に乗り越えて実現させてたいものです。