宮津カトリック教会、味土野を訪ねました。

細君も私も明日から2日間フリーと分かった10月29日のこと、「明日、日本海の民宿へ行きたい」と、5月に新車が納車されて初めての遠出のドライブとなりました。

京都縦貫道の宮津出口の標識を見たとたん、無性に宮津カトリック教会を訪れたくなった。訳も分からず市役所の駐車場に。まさかそこがガラシア像の隣地とも知らずにです。通りすがりの女性から「あれがガラシアさまの像ですよ」と指さして言われた。

像の後ろに宮津カトリック教会がみえた。まだ改修工事中なのか、それらしき業者のかたが出入りしていた。その傍で落ち葉を掃き清める男性がいらした。近寄ってみるとマスクのお顔の目が青い。「神父様ですか」とお声を掛けたら、そうだった。

しばらく立ち話をさせていただいたら、「いまは非公開ですが、中を見たいですか」と言ってくださった。何という導きでしょう。畳にパイプ椅子。日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂は、まさに日本と西洋文化の融合の聖堂。その聖堂でしばし祈りの時間をいただくこととなった。レイモンド・ジラール司祭のおもてなしに心から感謝です。

 

教会を後に、天橋立が一望できる展望台へと向かった。リフト乗り場を通り越し公園を見つけた。そこのベンチとテーブルに細君は用意してくれたランチを並べた。おいしかった。本当においしかった。

傘松公園展望台には私は2度目のはず。でもそれがいつだったか全く覚えていない。幼いころ父に連れられてきたような気もする。ハートのオブジェを見つけて、はしゃぐ細君と2ショットに興じた。

教会で祈りをささげているうちにどうしても味土野に行きたくなった。案内所で行き方を訪ねても、よくわからないらしい。ナビを頼りに向かってみる。宮津から直線距離にするとそれほどでもないのに、車だと思いっきり迂回しなければならない。途中、車の離合すら困難な山道にさしかかる。分岐場所に来ても標識はない。まさに「こんなところにポツンと一軒家」。車どころか人影すらない。えいとばかりに坂道を進む。峠で「ガラシアの滝」の標識に出会う。どうやら道は間違っていないよう。しばらくすると「ガラシア荘」。想像していたよりも簡素な造り。山小屋だ。さらに進む。急に道幅が広くなる。そこが目的地「ガラシア隠遁の地」だった。しばし味土野の空気と山並みが続く遠景に身を置いた。

  

 

東屋に「ガラシア」オペラ初演のチラシが張られていた。なんだかライバルに出会ったような気になった。

日本海の民宿に向かう途中、細君が「牛!」と叫ぶ。どうやら放牧場のよう。高台の駐車場に車を止めると細君は、急いで放牧場に降りる。牛や羊と柵越しに遊ぶ。広大な京都府畜産技術センター・碇(いかり)高原牧場だった。

民宿「せいき荘」に到着。土曜日だというのに、Go to キャンペーンが始まったというのに、この日の投宿者は私たちだけ。海岸を一望できる12畳の広い客室を与えて下さった。私が初めての買い求めたマッキントシュのPerformerでネットサーフィンしてて偶然目にした宿。潮騒のBGMが心に刻まれました。そのサイトをお気に入りに登録したのですが、いつの間にかアクセス不能になっていました。20年間も前のことでした。今は跡取りの若い主がもてなしてくださいました。潮騒の音も変わらず昔のままに向かい入れてくれました。翌朝古い漁師町を歩くと、「見かけない顔だね」「せいき荘かね」「昔は20数軒の民宿があったけど、跡取りがいなくてね」とおばあちゃんが声をかけてくれた。いい風情です。

翌朝、鳴き砂で有名で訪れたかった琴引き浜を遊び、再び天橋立へ。

途中、西日本サイド級の道の駅・丹後王国「食のみやこ」に立ち寄ると、駐車場わきの漬物の「西利」の巨大な工場にびっくりでした。

  

「天橋立ビューランドのリフト乗り場の40分待ちの大混雑には驚きました。閉園時間まで遊んで下山。すっかり陽は落ちてあたりは暗くなっていましたが、四軒茶屋で智慧の餅を買い求め、廻施橋を渡り、数十歩だけ天橋立に足跡を残し、帰路についたのでした。

資料として数点残します。次回味土野を訪れるときの参考のために。
特に味土野の現地ガイドの案内があります。

 

(2枚目の画像の右下の黄色の枠組みが味土野への案内情報です。拡大してご覧ください)