指揮者のための飛沫防護シートを作ってみました。

 

   
1.拙宅の物置にしまい込んでいた重い譜面台の譜面台を外しスタンド部分だけを用意しました。(軽量の譜面台では、うまくいきません。倒れ込んでしまいます。)
2.口径が27㎜あります。ホームセンターで24㎜の突っ張り棒と厚さ0.2㎜のビニールシート2m x 1.8 mほどを購入。大型クリップ6個も用意します。(突っ張り棒は持ち運びに便利、というだけで、丸い棒状のものだったらなんでもいいです。ただし直径24㎜でなければなりません。それより細いものだと安定感が失われます。)

画像準備中

口径の写真

ツッパリ棒の写真
シートの写真
紙はさみの写真

3.左右のスタンドに突っ張り棒を差し込みます。

4.それぞれの棒にビニールシートを強力な紙ばさみで装着します。

5.ここまでわずか5分です。リハーサルの時間を削る必要がないことが、最大の利点です。

6.終わったら、ビニールシートを巻き、他のパーツを解体します。これも10分ほどです。  

拙宅にはこの譜面台があと数台あります。2本一組で8000円+送料でお分けします。ご連絡ください。コロナ対策が必要でなくなったときは、もちろん譜面台として利用できます。ただし、譜面台が平版で重くて持ち運びには苦労しますが・・・・。送料もばかにならないかもです。調べておきます。

 

Make us a channel of your peace 世界初演に携わって

リモート合唱の手引きに制作にあって、主催者京都音楽振興財団からの依頼による合唱指揮者としてのメッセージ原稿です。

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高校生の頃のことです。初めて「アッシジの聖フランシスコの平和の祈り」を目にしたのは。その時の印象を今でもよく覚えています。それは「東に病気の子供あれば行って看病してやり・・・・西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い・・・」なんと宮沢賢治の雨にも負けずとそっくりじゃないかと。

話を本題に戻します。Bob 先生がこの曲を届けてくださったときに、テクストとした詩をググってみましたが、ヒットしません。それもそのはずです。

「フランス語版ではおおよそ60、英語版ではおよそ40、ドイツ語版ではおよそ20、イタリア語版ではおよそ10のヴァージョンが存在する」

でも、その版でも共通することがあります。それはいくつかの名詞の対比です。

hatred,  love.   憎しみのあるところに愛を、
injury, pardon.  いさかいのあるところにゆるしを、
discord, union.  分裂のあるところに一致を
error, peace.   誤っているところに真理を、
doubt,  faith.   疑惑のあるところに信仰を、
despair, hope.

続いて不定詞の対比が3つ続きます。いずれも受動態と能動態です

to be consoled ―as to console          慰められるよりは慰めることを、
to be understood― as to understand,  理解されるよりは理解することを、
To be loved ―as to love    愛されるよりは愛することを、

https://www.lyrics.com/lyric/2045450/Various+Artists/Make+Me+a+Channel+of+Your+Peace

5.私をあなたの平和の道にして、

7.憎しみがある場合、

愛を持ってきて。

9.けががある場所

10.ご容赦ください。

11.不和があるところ

12.組合を結ぼう。

13.ああ、私たちが求めることは決してないだろう、

15.コンソールと同じくらい多くのことがコンソールされます。

16.理解すると理解される

19.私のすべての魂を愛するように愛されることを

25.私をあなたの平和の道にして、

26.エラーがある場合、

27.平和をもたらしましょう。

29.疑問がある場合、

信仰を持ってきましょう。

30.絶望があるところ

31.希望をもたらしましょう。

33.ああ、私たちが求めることは決してないだろう、

35.慰めるほど多くのことを慰める。

36.理解すると理解される

39.すべての私たちの魂を愛するように愛されること。

41.私たちが受け取ることは、

44.自分が見つけたことを忘れている。

47.それは私たちが許されている赦しの中でです。

54.私たちをあなたの平和の道にしてください。

一般的な

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。 5. Make me a channel of your peace,

憎しみのあるところに愛を、 7. Where there is hatred,  let me bring love.
いさかいのあるところにゆるしを、 9. Where there is injury, 10. let us bring pardon.
分裂のあるところに一致を、 11. Where there’s discord, 12. let us bring union.
疑惑のあるところに信仰を、 29. Where there is doubt, let us bring faith.
誤っているところに真理を、 26. Where there is error, 27. let us bring peace.
絶望のあるところに希望を、 割愛

闇に光を、 割愛

悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 割愛

わたしが求めますように。 13.  Oh grant that we may never seek, (So much )
慰められるよりは慰めることを、 15.  to be consoled as to console.

理解されるよりは理解することを、 16.  To be understood as to understand,
愛されるよりは愛することを、 19.  To be loved as to love with all my souls.

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、 割愛

自分を捨てて死に、 割愛

あなたの平和のチャンネルを作ってください。
Make me a channel of your peace,

自粛中。

この2月から、毎日の山荘生活を楽しんでます。朝は小鳥たちの大合唱に慰められ、日中は30分の早歩きの散歩、夜は満天の星を眺める。混合油を使う草刈り機も上手になったし、山荘周辺の人たちとも親しくおしゃべりできるようになった。たくさんの発見と経験に驚きと喜びを与えられています。これはこれでいいもんです。

2019年演奏会

自粛中。この2月から、毎日の山荘生活を楽しんでます。朝は小鳥たちの大合唱に慰められ、日中は30分の早歩きの散歩、夜は満天の星を眺める。混合油を使う草刈り機も上手になったし、山荘周辺の人たちとも親しくおしゃべりできるようになった。たくさんの発見と経験に驚きと喜びを与えられています。これはこれでいいもんです。

9月23日
合唱団 大阪コンソート創立20周年演奏会


5月6日
13人のアンサンブルのリサイタルです。


3月10日 
審査員として招かれています。

いのり追悼と新生 – 宗教者による神戸メッセージ・・・エキュメニカルの原点

初めて「たかとりカトリック教会」を訪れました。
2017年1月14日のエキュメニカルな祈りの集会の準備のためでした。
仕事の手を休めて、通りにでたすぐそこの教会掲示板に掲げられた一枚のポスターにくぎ付けになりました。写真を撮ったのですが、ガラスの反射でうまく撮れませんでした。そこで家に帰って検索をかけました。
するとこの教会の神田弘神父のサイトにたどりつきました。
私のエキュメニカルの活動の指標として心に刻んでおきたいと思います。
以下、転載させていただきます。
(記事のサイトはこちらです http://phknd.tea-nifty.com/phknd/1998/01/980117___5bc1.html)

1998年1月17日 (土)

いのり追悼と新生

いのり追悼と新生 – 宗教者による神戸メッセージ

突如襲った阪神・淡路大震災は、私たちに未曾有の被害と絶望をもたらしました。犠牲になられた方々への無念は尽きることがありません。それと同時に、残された私たちの日常も苦渋に満ちたものでした。生きることの苦しさを嫌というほど味わいました。しかし私たちは、それにもめげず微かな希望に支えられて、これまで生きてきました。その希望の源になったものは何か。それは自分の隣にいる人々との出会いそのものでした。

私たちは、不思議な体験をしました.成す術が分からない、そんなさ中にもお互い助け合うことができました。優しく声をかけることもできました。そこには普段、人と人とを隔てている壁のようなものは無くなっていました。隣との壁、国籍の壁、そして宗教の壁です。お互いが助け合うという自然にできた優しさが、そんな壁をも打ち壊したのです。そこには生きるために国籍や宗教の別は必要ありませんでした。生きていることそのものがすべてでした。

しかし、それは束の間の出来事でした。時がたつにしたがって街は少しずつ復興し、それと同時に人と人とを隔てている壁も戻ってきました。家族を越え、地域を越え、国籍を越え、そして宗教を越えて声を掛け合うことが難しくなってきました。つまり普段に少しずつ戻ってきたのです。

私たちすべての願いは地震から早<立ち直り、まちが復興することです。しかし今、復興という言葉にだんだんと取り残されてゆ<人々がいます。私たちは決してそんな仲間たちのことを忘れてはなリません。最後のー人が震災から立ち直るまで地震は終わらないからです。

私たちは宗教者として、今一度この3年を振り返り心を合わせたいと思います。自分が責任を持つ教団の利益や信徒への奉仕にのみ留まってはいなかったか、そして世に開かれた宗教の働きを、自らの生き方として担い得たかを、問い直すことから始めなければなりません。そこからひとりひとりが壁を取り払い、優しく声をかけ合い、わかち合えるひとづくり、まちづくりを目指してその働き(教化や布教、宣教)を担ってゆかねばならないと、こころざします。さらにまちが復興し、単に普段に戻ることを願うのではなく、地震の中で体験した不思議な出来事に希望をおき、新しい世を創ってゆくことを願いそしていのります。それが宗教者としての共通の使命と考え、そのことが犠牲になちれた方々への追悼となり、残された人々の新生となると固く信じるからです。

市民の皆さん、宗教を持つことは、一人一人の生き方が分けへだてられるのではなく、宗教の壁を越えて、つながり合いわかち合うことなのです。自由な選択の中で人がよりよ<生きる道を探す希望の宝箱を持つことなのです。また宗教者は、そのことを教えるだけの教師ではな<、共に考え共に歩む人生の仲問です。もし宗教を持つことがー人一人の心を狭<したり、他を排斥したり、権力や名誉に走るようなものであるならば、残念なことです。もしそうなら、それはそれぞれの宗教に携わっている私たち宗教者が、宗教による壁の中で、それぞれのしきたり等に心を奪われているところに問題があるようです。それを本来の宗教として私たちは理解したくありません。私たち宗教者も完全ではありません。被災地にあって復興を創ろうとするすべての人々と共に、震災を生きる者として、私たちも一つになりたいと願います。

地震に負けないで、勇気を持って新しい世を一緒につくってゆきませんか。

1998年1月17日
震災を生きる宗教者有志

合唱は楽しい  ナレーション原稿

【クリスマス物語 宮本ゆき牧師】

神は、天地創造の初めに「光あれ」と宣言されました。混沌の深い暗闇に光がありました。すべての命を照らす光です。

光は、今から2000年前、ユダヤの小さな町の近くで、夜通し羊の群れを守っていた羊飼いたちに顕れ、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」と告げました。そのとき、天空にさやかな歌声が響きわたりました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ」。

やがてこのできごとは多くの人々に宣べ伝えられ、人々はクリスマスがめぐってくるたびに、あの光を見たい、あの美しい調べを聞きたいと願い、賛美の歌を歌うようになりました。

(前奏と重なる)クリスマスは私たちの遠い昔と、今と、これからをひとつに結んでくれる絆です。

クリスマスの御子は、貧しく若い両親に見守られ、飼い葉桶に眠っていました。御子を訪ねてやってきた羊飼いたちは、汚れた仕事をする人、蔑まれるべき人だとされていました。幼子と、幼子を囲む貧しい人、弱い人、無力な人、そこに全ての人に贈られたクリスマスの光が輝きます。

クリスマスの御子は、生涯を、ひたすら神と人に仕え、そして人々に背かれ、嘲られ、私たちの悲しみと痛みを負って十字架につかれ、私たちの罪を購われました。

私たちの世界から、私たちの心から、闇が消えたことはありません。それでも聖書はこのように語りかけています。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。

ひときわきらめく星に導かれ、遠い東の国から3人の占星術の学者がやって来ました。危険な旅と知ってなお、どうしてもクリスマスの御子に会いたい、と命がけの旅でした。御子を探し当てると、喜びに溢れ、礼拝し、贈り物をささげ、帰っていきました。

キリストは「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た」と約束されています。キリストの光は消えることなく輝き続け、私たちが「世の光」となるよう励まし続けています。

(前奏と重なる)「初めに言があった。言は神と共にあった……言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている……わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」。

 

 

【幕間ナレーション】

本日はお寒い中お足をお運びくださいましてありがとうございます。

ここ旧京都会館は私にとっても青春の思い出がいっぱい詰まったホールでした。老朽化ということで建て替えが決定したときは、心が痛みました。国鉄の京都駅の建て替えが発表されたときのことを思い出しました。でもご覧のようにこのような素晴らしいホールが京都に与えられたことを心から喜んでいます。

2年半まえにロームシアター京都が16年の開館にあたり、その記念事業として小澤征爾先生のフィガロの結婚に続く「広く市民にアピールできるオープニング事業」が公募されました。私どもは、あまり期待もせず、ダメもとで「富岡健と創る新しい合唱表現」という企画書を恐る恐る提出いたしました。それが思いもかけず「ロームシアター京都オープニング記念事業」として取り上げられ今日の日をむかえることと相成りました。

どうぞ年の瀬のあわただしい日々ではございますが、私達の「合唱表現」をお楽しみいただければ幸いです。

プログラムを進める前に、皆様に喜びをもってご紹介させていただきたいお客さまがいらっしゃってくださっています。ニュースキャスターという名称がはじめて用いられ、関西の合唱界のみならず、クラシック音楽界をリードされている、音楽評論家、大阪音楽大学客員教授でいらっしゃる「日下部吉彦先生」です。先生ありがとうございました。

舞台の用意も出来たようです。ふじの花の「さわやかでしっとりとした演奏」とフラワーコーラスの「どこも真似ができない演奏」を続けて楽しみください。

大阪コンソートとカナリーによるクリスマスを祝ったステージでは、宮本牧師が天地創造の第一日目の「光」を語ってくださいました。そしてふじの花もまたみ仏の慈悲に満ちた「光」を歌ってくれました。そしてフラワーは恵みの中で「躍動する命」を表現してくれました。皆様、いかがだったでしょうか。

皆様にご報告がございます。私は谷本智子さんの「小さな幸せ」という曲と出会い、それを女声合唱・混声合唱・男声合唱と編曲し出版する機会を得ました。この曲との出会いは「音楽は人と人をむすびつけ、絆を深くする」ということを強く私に教えてくれました。そこでその思いをもっと積極的に社会にアピールしたいとの考えから「音楽の恵みネットワーク」を立ち上げ、この11月に幸いにも大阪市よりNPO法人として認可を得ることが出来ました。いくつかの事業を計画していますが、中でも「日本人による日本語のオペラをここ関西から世界に発信したい」と強く願っています。ついては皆様のご声援ご支援を賜りたく、本日ロビーに活動案内書をご用意いたしました。どうぞお持ち帰りください。富岡健応援団として、この活動にご参画いただければ幸いです。

ステージには滋賀男声がそろいました。本日は、豊かな感受性と想像力に富んだ青春を謳いあげようと南先生が作曲された「月下の一群」から3曲を、人生を重ねてきた者から若者へのメッセージとして歌いあげます。

新年おめでとうございます。hpも復旧しました。

15年賀状

昨年も皆様から多くの恵みをいただいた一年でした。
ありがとうございました。

今年はリニューアルオープンする京都ロームシアターで
① リーダークランツのOB会が主催するオーケストラと男声合唱による
ワーグナー「タンホイザー」の演奏会
② 私が関係する合唱団が一堂に会して
「新しい合唱の息吹・・合唱って楽しい」での
シアターピース「ファンタジー・オペラ座の怪人」の初演。
と2つの公演がございます。
また 兵庫県三田でのメサイア公演。
滋賀男声合唱団のびわ湖ホールでのリサイタル
ふじの花の京都コンサートホールのリサイタル・・・

詳細はおってお知らせいたしますので、ご支援をよろしくお願いいたします。

尚、年賀状のコーラージュ(上記)は
昨年のハイライトシーンの抜粋です。
① 竹下清志ジャズトリオとの協演(フラワーコーラスのリサイタル)
② 合唱団大阪コンソートSSAの初出場から3年連続の優秀賞の賞状
③ 奈良県大芸術祭での奈良フィルハーモニーとの
フォーレ・レクイエム(オーケストラ練習風景)
④ 大阪カテドラル聖マリア大聖堂でのモーツアルト・レクイエム
⑤ 初めて訪れたヴァチカンのミケランジェロ作のピエタ像です。